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体罰とは

昨晩は久しぶりに幼馴染の経営する焼き鳥屋に行った。9時過ぎにいったが、年配の常連客の方が多くかなりにぎわっている様子であった。そこへ熱燗を頼み、寒かったのであったかおでんをご馳走になった。

隣に座っていた常連の方が福島のお酒をもらったそうで、それも2杯程冷でいただいたがなんともうれしい気分であった。こういった家族や近所ぐるみのお店はなかなかないので、いつも行くたびに気分がほっとする

その中で大阪市長の体罰に関するニュースが話題になっていたが、年配の方といろいろ話すうちに、体罰は必要であるが、子供にも逃げ場を与えてやらなければならない、という結論が出た。これは昔の方に言わせれば当たり前のことで、以前はしょっちゅう先生に殴られたりたたかれたりあったらしい。私の時代も体罰は多少あったが、それでも生徒間でも先生の間でも限度というものをあらかじめ知っていた。途中から限度や暗黙のルールがなくなり、体罰がいつしか殺人になってしまう世の中になってしまったようであるが、昔は先生も生徒も暗黙のルールの上で体罰を行っていた。

いつしかそのルールがなくなりおかしくなったのかはわからないが、個人的には体罰なくして子供のコントロールは難しいと思う。なんでも口で説明してあげれば理解するわけでもないのが子供なので、それなりに体を使って教えることも大切だと思う。しかしそこには限度もありルールもあるので、大人側もそれを理解していなければ体罰を行使する権利をはく奪すべきであるし、体罰を行うべきではない。

子供がお父さんに叱られたりたたかれたりすればおのずとお母さんの所へ、又はおばあちゃんの所へ逃げるのが普通であったが、核家族化で今はその逃げ場がない。体罰を受けてもいじめを受けても、叱られても孤独な空間に逃げるだけで、それをケアしてくれる親族が周りにいない。先進国に経済成長を伴った国のデメリットであろうか、我が我がと私利私欲を優先するばかり、子供・子育てというものが変わってしまった。いくら叱られてもおばあちゃんの部屋に行けば安全だ、という逃げ場所が私にはあった。なので安心していたずらもできれば悪い事もした。しかし限度を超えればおばあちゃんでも怒ってきたので、そこで子供は学ぶのであろう。

世の中の動きを変える事は難しい、だが、こういった居酒屋で年配の方から学べる経験や知恵を大切にしたい