印刷ブログ
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シルク印刷と将来

以前にも書いたが私はシルク印刷業界に入ってからまだ経験が浅いといえば浅いと思う。先代の父親が他界したのがちょうど2年ほど前、それまで勤めていた機械系ブランドの海外営業をやめ、地元長岡市に戻った。

自営業でシルク印刷を営んでいたので、子供のころから助手の手伝いとして、印刷済みの商品をドライラックにあげるような仕事や、溶剤の補充、材料の搬入搬出やらフィルム作成等、様々な手伝いをこなしたのを覚えている。小学生のころから始まって当時まだ高級品だったパソコン(DOS仕様)を使い、フィルムを赤ベースで出力しては毎晩のようにやっていたことはまだ記憶に新しい。その当時はカッテングシートもあり、シートを切ったりもした。

高校生のころからはアルバイトに出るようになり、印刷の方の仕事も片手間でフィルム出力がほとんどになっていた。その後はアメリカに行ってしまったので、2年前の帰国までは印刷というものは全くかかわりが無かった。その間にいろいろな変化があり、インクジェットが主流となっていたのは帰国後のちょっとした驚きでもあった。

毎日シルク印刷やパッド印刷をするようになり、この業界に将来はあるのか?と自分に問いかける日々ではあるが、仕事は探せばいくらでもあるし、仕事は自分で作らなければならないというスタンスで毎日に挑んでいる。待ちの構えでは自営業等できるわけはないし、ましてこの時代待ちだけではおいて行かれてしまうのが現状だとわかっているからだ。

毎日どのような仕事が出てくるかがわからないなか、先行き不安な事もあるが、挑戦できる仕事があればどんどんやってゆきたい

シルク印刷で自然乾燥

昨日日曜日は雲一つない快晴となった。朝起きたらあまりにも素晴らしい天気だったので、どこかにでかけるというよりは、月曜に予定していた印刷の仕事を済ませた。

硬化剤を入れて刷る仕事であったので、せっかくの快晴という自然エネルギーを使用しないのはもったいないと思い、普段であれば電気がまで焼き付ける作業も、直射日光の入る部屋を閉め切って乾燥させた。温度計でははかってはいないが、締め切ったので40℃近い温度になっていたと思う。それプラス直射日光の影響で1時間以上焼き付けを行ったが、今朝みたら問題なくインキが付着していた。

電気がまに入れれば事はすむのではあるが、電気代の値上げやらコスト削減で利用できる自然エネルギーはとことん利用すると心がけている。節約できたのもほんの数十円くらいかもしれないが、それでも節約できたことは常に気持ちが良い。

毎日が快晴であれば西日があたる部屋や大きな乾燥部屋を作成して、そこで常に自然乾燥させるようにすればよいのだが、冬場は太陽がほとんど出ない為になかなか自然乾燥はできない。物によっては80℃まで温度をあげなければいけないので、そう簡単にもいかない。

今日は午後から天気が崩れるようだが、また新たな一週間が始まることが楽しみだ

今朝は山菜取り

今朝は今シーズン初の山菜取りにでかけた。シーズンはもう終わりだが気づけばまだ一度も行っていなかったので、早朝4時過ぎに起きて2時間ほど山をかけめぐってきた。朝9時前には帰宅し、そのまま仕事を始めることができた。

毎シーズンほぼ毎週でかけていたが、今年はいろいろな行事が入り込み、まだ一度しか行けていない。来週末を過ぎればもう遅くなるであろう山菜取り、もう一度くらいは行きたいと思う。

山奥はまだ雪が残っていた
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体質改善とアトピー性皮膚炎

シルク印刷とは全く関係の無い事ではあるが、私は子供のころから軽度のアトピー性皮膚炎を背負っている。小さなときはひどかったらしいが、本人の私にはまったく記憶が無い。幼稚園や小学生のころにも特に異常があったようにも思えないし、外で遊ぶ毎日だったので肌が黒焦げだったことだけは覚えている。その記憶をたどればかすかに間接回りはよく掻いていた記憶があるし、血が出ている場面もあったような感じではある。

大人になってそのアトピーが戻ってきたのが、高校生以降アメリカに7年ほど住んで日本に帰国した直後の事であった。初めは東京で仕事を探したがなかなかうまくいかず、結局は敗退となり地元に戻ってきた。一時期はフリーターのように何もしない期間が数か月あったが、何とも言えない罪悪感があり、仕事をみつけて再度上京という事になった。その頃からであろうか、急激に肌が荒れアトピーが再発してきたことを覚えている。しかし東京にいたころは全くその症状もなく、その後5年の歳月をドイツで過ごすことになったが、その間も全く症状がでなかった(冬場だけ乾燥肌になって痒みが出たくらいである)

父親の死をきっかけに、2010年に帰国、地元長岡市に住みだした。その直後から、それも2-3日しか経過していないのに再度アトピーが再発。どうにもできない状態で掻きまくり、そして血だらけになってしまった。一時期は肌が削れるくらいの状態で、身体も顔もひどいことになってしまった。皮膚科に行けば薬を処方されるだけで、何が原因なのかがわからない(単にアトピー体質です、と言われるだけだった)。世の中には同じような悩みを抱えている方が多いことを知り、いろいろ調べた結果、ある本にたどりついた。それは九州の皮膚科のお医者様の本で、とにかく油を断ちなさいという内容であった。その他にもいろいろと細かい定義があったが、それほど苦にもならない食事療法で劇的な回復ができたことは幸いではある。以下、もし同じようなアトピーでお悩みの方がいるかもしれないので、私が食事で気を付けた事、本当に簡単ではあるが、明記したい。

1. 油ものを控える(揚げ物やてんぷら等、多くても週に1回程度、2週に一度くらいが好ましい。それも連続して食べない)
2. 生卵は控える(当の本人は玉子ごはんが大好きで、ほぼ毎日食べていたくらいであった)。玉子ごはんを断った直後に劇的な回復を体験しました
3. 卵を使った料理やデザートを控えめにする(ラーメン等は大敵、月に1回程度であれば良しと判断しました)
4. マヨネーズやマーガリン等を断つ(不思議と無くてもサラダは旨いしジャムがあればパンを食べれる)

上記からも言えることは近代的な食事を断つこと。牛丼やらすき焼き、てんぷらだの唐揚げ、そしてラーメン等、テレビではいろんなお店のランキングが紹介されているくらいの国民食になっているが、それに比例するかのようにアトピーの患者が増えているそうだ。特に子供の発症が多いらしく、大人よりも小さな体の子供にラーメンだの脂っこい物を食べさせれば反応が出るのではないかと医者ではないが感じてしまう。現に私はラーメンが好きで週に1-2回は食していたが、今は月に1回食べるか食べないかの頻度まで落としてある。

不思議と食べなくなればそれ程欲しい物でもなくなるし、脂っこい物や近代食を減らしたことにより、1年で15キロも痩せた。特にダイエットをしようと試みたわけではないが、食事をなるべく天然の物にするように心がけ、油ものを押さえ、自然体に近い食事をしているだけだ。もちろん夜食のカップラーメン等ここ何年も食べていないし、食べたいとも思わない。

今は皮膚の陥没もなければ血だらけになることも無い。100%回復したとは言えないがかなりの改善になっていると自負している。100%の完治を試みる為に来月は自然食事の断食をしてみようと思う(肉魚や調味料を全て除いた温野菜だけの食事)。1週間持続することにより何かしらの結果を出せると思うから、またブログに記載したい

金環日食

先日は朝に成田空港に到着、電車で船橋付近を通過したのがちょうど金環日食の時間であったが、電車からの角度が悪く、何も見えなかった。ちょうど空も曇りがかっており、仮に外にいたとしても見えなかったであろうと残念に思いながら上野駅まで普通電車でのんびりとゆられていった。

上野から長岡までは駅ネット割引で35%の価格があったので、12時過ぎの新幹線を予約していたので、秋葉原を簡単に探索し、近くのUDXビルの無料WIFIを使いメールを書いたりした。

やはり夜中の便でバンコクから成田到着だったので、多少の疲れのせいか、月曜は9時前に寝てしまった。昨日今日とは普通になり、また朝のジョギングも開始、毎日が健康な日々になった気がする

早朝に成田到着

今朝は朝の6時、成田空港開港と同時に到着した。昨晩のタイ、バンコクを夜22時に出発し、そのまま成田入りではあったが、少々身体に疲れがある模様である。疲れたとはいっていられないので、早速秋葉原にでて無料WIFIを探してメールを送受信した。

新幹線は朝一で取ればよかったのだが、12時過ぎの便が35%割引なのでそれまでは秋葉原付近でメールでの仕事をし、午後から地元新潟県長岡市に戻り仕事を再開する予定だ。

木の夜~月の早朝までの短い出張ではあったが、土日もフルに活動し、それなりの成果がだせたと思う。既に確認事項は日曜のうちにメーカーや必要取引先にメールを打ってあるので、あとは受注に向けて案件を進めるだけだ。

今週は忙しくなりそうだが、忙しいと必然的に脳も活性化されてなんだか安心する

東南アジア出張 コスト削減

シルク印刷業なのに東南アジアに出張とはいかに?と思った方もいるかもしれない。

シルク印刷やパッド印刷の事業を継いでから1年程度ではあるが、継いだ当初は売り上げが少なかった。正直先代(自分の父親にあたるが)は廃業を考えていたくらいの落ち込みであったので、私も継ぐとは考えてもいなかった。が、突然の父親の癌宣告、1か月後の他界となり、いままでお世話になったお客様に廃業いたします、とも言えなかったのが正直なところではある。初めは乗り気ではなかったが、やればやるほど面白いのがシルク印刷とパッド印刷であった。デジタル化社会の中でシルク印刷等全く需要がなくなるのではないかと半信半疑で始めたが、探せば仕事などいくらでもある。世の中に印刷していない物がないくらいとも思え始めてきた。

が印刷の仕事だけではまだまだ生活に余裕が出ないので、以前の仕事関係の貿易を使い、東南アジア向けに食品の輸出や逆に輸入等をコツコツはじめてみた。それ程足しにはならない事業ではあるが、片手間を見つけては何かしらの貿易を行い、今では多少の大口案件まで確保できるところまで成長してきた。今回は1つ大きなプロジェクトがあるのでその打ち合わせと久しぶりに顔合わせをしていろんな話をしてこようと思い、週末を使ってのとんぼ帰りの出張を入れた。今日の夕方には地元長岡を出て、夜の便でシンガポールに飛ぶことになっている。

話は変わるが先日取引先の社長さんと話した中でコスト削減が出てきた。お互い零細企業ともいえるほどの規模かもしれないが、その中で100円200円のコストをいかに日々削るかの重要性を語った。私はかなりコスト削減に関しては敏感な方で、10円でも20円でも何とかして削減できないか、と日々探している。代替品のきくものがあればそちらを試して問題がなければ乗り換え、現金払いをすれば安い物は現金で払う、銀行手数料がもったいないので集金に行く等、塵も積もれば山となる感覚でやっている。

コスト削減は辛いと思ったらそこでアウトだが、私はコスト削減を楽しんでやっているので全く苦にはならない。何か安い物を見つけてそれが使えるとわかった時の感動は他にかえられないくらいだ

山菜の時期

春がきたとなれば毎年山菜取りである。私は子供のころから母親に連れられ、山菜を取っていたので今もふらっとでかけてはいろいろとってくる。

今年は豪雪もあってまだまだ始まったばかりではあるが、山に行くのが楽しみでしょうがない。私はどちらかと言えば食べる方ではなく、採る方が好きだ。ウドなども白い生で食べれるおいしい物は人に全部あげてしまい、自分では緑の方をきんぴら等にして食べる。

タラの芽も大好きだが、年々タラの芽の蕪がなくなっているように思え、やまあらしなのか採り方がわからない人がとっているのか、芽の部分だけでなく、根こそぎとって行ってしまう場面も見かけた。ウドなどもそうで、来年の分を考えて採ればよいのだが、根元から全てとってしまったり、採らなくても良い物を取ってしまう人たちもいる。

昔に比べれば少なくなっている山菜だが、必要の無い舗装道路や採り方のわからないマナーの無い人たち等で荒れてしまっているのが現状かもしれない。私が子供のころとっていたわらびの多く取れる場所等は舗装されてしまい、全く取れなくなってしまった。あんな山奥の道をなぜ舗装しなければならないのか、子供心にも疑問があった。幹線道路でもなく、まして県道でもない。山に行く地元の農家の方や村民だけが通るような道を意味もなく舗装しているのは予算の無駄遣いなのか行政の思惑なのか。

最近では山菜がスーパーで並んでいるのをみかけるが、どれも栽培しているもので天然ものが見当たらない。私はできるかぎり天然ものを食せるよう、元気な限りは毎年山にでかけたい

毎日が異なる、気が付けばもう5月半ば

最近思う事は毎日が異なる日々だということだ。昨日の仕事も今日は全く異なり、明日何がくるかも読めない。もしかすると明日は全く仕事が無いのではなかろうかと思えば、急ぎの仕事が舞い込んでくる。

仕事の計画を立てるというよりは、入ってくる仕事を的確にこなし納期を厳守することに重要性を感じる。今週は比較的スムーズに事が進んではいるが、明日何がくるかさえわからない。しかしそんな状況が自分を成長させているのかとも思うときもある。流れ仕事があればそれをこなしていれば売り上げは確保できるのかもしれないが、流れ仕事が無いくらいの小さな町工場の印刷屋なので、日々のご飯が食べれる事が重要な課題となる。

もう5月も半分が過ぎてしまい、もうすぐ1年の半分が終わろうとしている。月日の経過ははやいものではあるが、充実しているのであろう、と思ってはいる。

本日の午後は長岡市の市政モニターに応募したら受けてもらえたので、その初回会合に参加する予定だ。

丸太に印刷

週末は久しぶりにのんびりした。土曜は先週片付いていなかった3色印刷の最後の色うちを午前中に終わらせ、午後からはのんびりした。日曜日は快晴でもあったので、午前中は幼馴染とコーヒーを飲み、そのまま娘を連れて地元アオーレ長岡の広場で日向ぼっこをしたり、構内を見て回った。ここまでの大型投資を長岡市という地方都市がやったので、どんな感じになり、どのように活用されるかはすぐには結果は出ないかと思うが、無駄な投資で終わってほしくは無いと思う。

バブルの時代はさてお金を使ってどんどん物を作ればなんとかなったのかもしれないが、今は税収減に人口減、財源の確保とある程度の収益性を見なければ大型の投資はできないのではないかと思う。事業でも同じく、以前はどんどんリースや投資ができたのかもしれないが、今の弊社はコスト削減に日々の研究、なんとかある機械と人間の技術で印刷をこなせないかと考える方が多くなっている。

先日は丸太に印刷ができないか?という問い合わせがあった。1本の丸太を学校の校庭に埋めて記念碑にするらしい。そこに習字の先生が書いた楷書を印刷できないか、というものであった。丸太でも表面を削ってある程度平らになっていれば直刷りもできるが、処理も何もされていないそのままの丸太なのでパッド印刷でもあまりはっきりしない見栄えになってしまう。今回は透明の塩ビ板に逆刷りをして、裏面から文字を表現、あとはドリルで打ち付けることにした。

いつも思うが自分の印刷した物が世の中に出ている場面をみつけるとなんだかうれしい。今週は忙しそうな1週間になりそうだが、木曜の夜から月曜の朝にかけては東南アジア出張で機械のOEM受注にシンガポール向けの輸出案件をまとめてくるとんぼ帰りになりそうだ

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